そうだ京都行こう・その1
ここ何日かが精神的にきつかった。
少ない友人の中の二人に会いに行って、死にそうだと泣きついた。
耐えねば、人生が続かない。
生きる意味なんてないのに意味付けしようとするのがいけないんだよね。
で、二人目に会いに行ったら
「じゃあ、あおふみも京都行こう」
しかも今日夜行で。彼女は先に行ってるから明日合流ね、とのこと。
その場で夜行バスを探して、連休だから全然なくて、名古屋までの夜行バスに乗りそこから先は電車で行くことにした。貧乏だから新幹線なんてないない。
友人がクレカをひょいと渡して「安心バンク」とか何なんだお借りします。
夜行バスはいままでで一番よろしくなかったけど名古屋について、電車を逃して、手羽先味のさきいか食べて待って、電車にのって、寝過ごして大阪に突入しちゃって、京都に向かうも電車が分からなくて、やっといまドトールで充電してる。この先合流できるのか。わたしは動く気持ちがないです。
その1
凛として時雨はなんでこんなにしんどいときに聞きたくなるの、やっぱりライブにいきたかったな。
好きな人にはずっとふられている。
ふってるくせに優しいからずっと連絡をとってくれるし体調を心配してくれる。
ずるいけど、人間としての付き合いを続けてくれているのは有り難いこと。
定期的に会わないとその拒絶を忘れてしまう。
その人はきっといまのところ無性愛な人で、
それを抜きにしてもわたしのことを好きでないのだとしたら本当に悲しすぎるけどたぶんそう。
わたしは彼の性的な何かに嫌悪して寄せ付けない所が好きだから、わたし自身が性欲などを持っていることが嫌でしょうがない。
生まれた時点でステージが違った!
触れあうこともなくていいから一緒にいて居心地がいいと思ってくれれば良いのに。それでなんとなくずっと続いていけば良いのに。
彼の言葉を借りるならば「思惑通りには行かない」のです。
つくりました・星の王子さま
ブログ、つくりました。
かきます。
タイトルは変えるかもしれない。
すでにひとつあるのですが、そちらは闘病日記鬱々となっているので。
こちらは軽いバージョンとして。
『星の王子さま』は定期的に読む本にしている。
世界中で人気があるものはそれなりに理由があるよね。(タイトル表記は便宜的に岩波版です。)
時間をおいて読むごとに、自分がいま何に重点を置いているのかよく分かる。気がする。
日本国内での著作権が切れて翻訳ブームにもなり、今ではたくさんの解釈に触れることができる。
わたしは日本語しか扱うことが出来ないから、色々なルート越しに原書を認識することができるのは本当に有り難いこと。そして同時に色々なことを考えることができる。勿論物語についてだけではなく。簡単なことも難しいことも。
ひとつとして。
わたしは言葉というものに希望を持っていたい。
内藤濯訳の星の王子さま(岩波)は内藤さんの哲学が詰まっていて、声に出す言葉、リズムがなめらかに慎重に大切にされていることがわかる。
翻訳はいかに正確になされるかではなく、言葉を活かせるかどうか。だから翻訳者さんたちは元の言葉を味わって飲み込んで私たちに作ってくれる、素晴らしい料理人のような存在。なれるものならなってみたい。遠いところにあるほっぺたが落ちるくらいに美味しい料理を、大切なだれかに食べてもらうことができるかもしれない。
文章を書き出すと長い人間です。
ここら辺で切ろうと思います。
「軽いバージョン」なわけだからね。